★戦艦大和建造の秘密1937年11月4日、広島県呉市の呉海軍工廠の造船ドックで起工された。そのドックは大和建造の為に拡張され、長さが314m、幅45m、深さ11m。
米国には建造は秘密裏に進められ、当初は海軍の中でも一部にしか知らされていなかった程である。
機密保持のため造船所を見下ろせる高台には板塀が設けられ、憲兵が警備にあたっていた。
造船所自体が厳しい機密保持の為、建造に携わる者は厳しい身上調査が行われ、廻りは軍の管制下におかれて、歩哨が要所を警戒していた。
4月7日12時過ぎ、鹿児島県坊ノ岬沖90海里の地点でアメリカ海軍艦上機を50キロ遠方に認め、射撃を開始したが、アメリカ海艦爆数機が急降下、1機撃墜、中型爆弾2発を被弾。
後部射撃指揮所が損壊した。また、一発が大和の主砲に当たり、特に後部射撃指揮所はオノで叩き割られたように跡形もなく破壊された。またこれによる火災は沈没まで完全には消火されることはなかった。以後14時17分まで、米軍航空隊386機による波状攻撃を受けた。
大和は爆弾の直撃を受け、艦内では火災をおこし艦上では対空兵器が破壊された。米軍の高性能爆薬を搭載した魚雷による効果的な左舷集中攻撃の結果、復元性の喪失と操艦不能を起こした。
後部注排水制御室の破壊により、注排水が困難となった。これより容易に米軍は大和に魚雷を命中させる事が出来た。
大和への最後のとどめの攻撃は、空母ヨークタウンからの艦載機による右舷後部への魚雷攻撃で、大和の艦底を攻撃するために、意図的に深度を深く調節された魚雷が使用された。
その為、魚雷命中に無いような下から突き上げられた後に「艦全体がブルブル振動して、グッグッと沈下した・・・」という。
その後急に傾斜が激しくなり、お椀をひっくりかえすようにゴロンと横転し、海面が盛り上がって大爆発したという記載も残っている。
鹿児島県坊ノ岬沖90海里の地点で4月7日14時23分に横転し、大爆発を起こして艦体は2つに分断されて海底に沈んだのが最後である。

★戦艦大和の仕様:
基準排水量 65,000トン
公試排水量 69,000トン
満載排水量 72,809トン
全長 263.0m
水線長 256.0m
全幅 38.9m
乗員最終時:3,332名